三重県亀山市に佇む野菜料理のお店「ひのめ」。
このお店の店主「うえちゃん」こと上谷朋大さん。
日々、生産者のもとを訪ね、自ら食材と向き合い、その食材に合わせた料理を提供している。
また同時に、常にうえちゃんの中にあるのは「未来」のこと。
どんなきっかけで、食を通じて、いま何を思い、何を伝えているのか。
父ちゃん仲間の1人でもあるうえちゃんだからこそ、父ちゃんに響くメッセージがたくさんあった。
食のあり方と向き合うきっかけとなった人生経験や、子どもたち、父ちゃんたちに伝えたいことを伺った。
〜プロフィール〜
ひのめ
三重県亀山市にて、野菜のコース料理を提供する予約制の小さなレストラン。
良きものが世に広く伝わることを願い、主に近隣の愛あるつくり手による作物や、自ら育てた野菜を使用。
「食材のこと」「生産者のこと」「日々の料理のこと」を改めて考えるひとつのきっかけになることを目指して。
料理家 上谷朋大
1993年生まれ。
幼少期に祖母の影響で料理に興味を持つ。
関西のレストランにて研鑽を積んだ後、渡豪。ファームやレストランで働き、食の大切さを知る。
帰国後は料理家として、三重県の教育機関や行政と食育の活動を積極的に行う傍ら、レシピや商品開発、飲食店の監修、料理教室など、あかるい食の未来を目指して食の豊かさを広げている。
子どもたちの未来、食の未来を考える日々
うえちゃん、本日は宜しくお願い致します!
まずはじめに、うえちゃんの普段の活動について教えていただけますか?
はい。
普段は、三重県亀山市でひのめという野菜料理のお店を経営してます。
あとは、子どもを対象にいろいろなところで料理教室をしたり、学校で「食」「生きること」をテーマに講演や調理実習をしてます。
最近は、BAKESという出店形式のカフェも始めて、これから店舗をつくるのに向けて少しずつ動き始めてますね。
他にも、全国各地に赴いて料理したりなど。
先日は東京の日本橋にある三重テラスというところで料理をさせていただいたり。
そういったお声がけを頂くことが少しずつ多くなってきてます。
あとこれも!
長崎の雲仙にタネトというオーガニック野菜直売所を営んでいる、奥津さんが主催している、その土地の在来種野菜・伝統食に焦点を当てた活動に賛同して、よく参加させてもらってます。
素晴らしい活動なのでぜひチェックしてみてください。
https://www.organic-base.com/topic/tane_tabi
最後に、TOCHANTOの原稿を書くことです(笑)
そうなんです、実はTOCHANTOのライターとしても活動して頂いてます(笑)
ただ、今日は「料理家」として食と向き合ううえちゃんのお話を聴かせていただきますね。
料理家として、多岐にわたる活動をしていると思うんですが、活動の大きなテーマとかはあるんですか?
僕は食を通して食育や食の未来、子どもたちなど、未来に向けた姿勢が常に自分の中ではあって。
食の活動に限らず、こうやって話したり、それこそTOCHANTOの記事制作をお手伝いさせていただいてるのもそうなんだけど、今やっていることが、今後成長していく子どもたちの何かきっかけになればなど、そういうのを常に意識しながら日々を過ごしています。
例えば自分の利益だけを生むとか、誰かの、未来のためにならないことは当たり前ですが選択しないようにしてます。
自分の軸に対して、正しいか正しくないかの基準をよく考えてます。
「子ども」「食」そして「未来」
このあたりが大きなテーマになっているんですね。
うえちゃんの明確な“軸”のようなものを感じたんですけど、なぜ、こういったことをテーマに活動しているんですか?
最初は 「ひのめ(自分)に触れていただいた方、体験していただいた方が日常の中で何か行動を変える、意識を変える」ということをテーマにひのめをオープンさせました。
それは今も変わらず意識している部分なんですけど、例えば料理一つとっても、
「こんなめちゃくちゃキレイな料理、日常には絶対落とし込めへんわ。」
みたいなのは目指していなくて、
「ちょっと頑張れば、もしかしたら家でもできるかも!」
みたいな料理を目指していて。
でもそれは、店にご来店して頂いたお客様に向けて、ずっとやってきてたんですね。
そんな日々を送る中で、子どもの料理教室とかをやり始めたんです。
そうすると、子どもたちって自分が思っていたよりめちゃめちゃピュアで(笑)
美味しいのは美味しいっていうし、マズイのはマズイ!っていうし(笑)
そのとき、感覚的に人間が持つピュアな部分をより学びたいと思って。
子どもたちは僕に対してマズイものは「マズイ!」って言ってくれる。それがなんだか純粋に嬉しくて。
こういったことがきっかけで子どもに焦点を当て始めました。
人生を変えたオーストラリアでの経験
子どものピュアな部分に触れたのがきっかけだったんですね。
ただ、うえちゃんはその中でも「食のこと」や「将来のこと」など、かなり踏み込んで伝えている印象があります。
それは何かきっかけや思いがあったりするんですか?
一時期、オーストラリアのメルボルンという都市に、ワーホリに行ってたんです。
そのとき、一緒に住んでたオーストラリア人が人生を変えてくれて。
当時、全く喋れない日本人の僕を輪の中に入れてもらったり、いろんなとこ連れて行ってくれたりして、それが学校以上に本当に勉強になったんですよね。
僕もトンカツ作って、めっちゃ喜んでくれもらえたりとか、一緒にサッカーして仲良くなれたりとか、非言語のコミュニケーションでどんどん近づいていけました。
その中で、一緒に住んでいた子のお父さんが郊外でファームを経営してたんですよね。
そのファームで、従業員として働かせてもらうことになったのが、食に対する意識が変わった1番のきっかけです。
いろんな動物がいて、広大な敷地を1人でほぼ管理する仕事でした。
今まで一度もこのようなお仕事をやったこともない僕が…やばいですよね(笑)
そこは、周りにスーパーとか全くないから、週に1回、そのオーナーさんが物資を運んでくれるんです。あるとき、山火事で道路が分断されて物資が届かない時があって。
食べるものなくなってきた、どうしよう。と連絡したら、「鶏を絞めて食べていいよ」と言われたんですよね。
僕は「わかりました。」と言って人生で初めて鶏を絞めた。
料理をしていたから、なんとなくイメージはできていたつもりだったんです。
でも、絞める前から絞めた後の鶏の過程を見て
「俺、今までなんで料理してきた?。」
「今まで生き物として食材を捉えてなかった…」
って強烈に感じて。
すごく苦しくなりながら、その鶏肉を食べたんです。
そこは大きな気づきであり、きっかけだったかな。
その経験が大きなきっかけだったんですね。
それまでは「料理=かっこいい。」だった自分がその体験を通して、すごい虚しくなって。
今までの自分のあり方とか、 なんでこれやってたんだろう…とか、全くその文脈がなかったことに気づかされましたね。
そこから、うえちゃんの行動も変わっていったんですか?
ファームで色々学んだ後に、もう1回料理にちゃんと目を向けようと思って、オーストラリアのレストランで働くことにしました。
もちろん、これは一概に言えないのは断言するんですけど、日本でもオーストラリアでも“有名店”と言われるレストランで、いくらいい食材を使っていたとしても、その食材一つ一つのルーツまで見ようとしなかったり、ほとんどの部分を当たり前のように捨てたり。
そんなことが一部では当たり前のように行われていました。
レストランでしばらく働いた後は、東南アジアに1人で食の旅に出てみたり、精進料理を学んだり、食材のルーツ、その土地に根差した食のルーツとかをひたすら考えていました。
オーストラリアでの経験が、うえちゃんの生き方も大きく変えたんですね。
はい。本当に行ってよかったと思えたし、彼らとの出会いがなければ、今何してるかわからない。
彼らには本当に感謝してます。
圧倒的な熱量と奥様との出会い
そこから、今のような活動が始まった感じですか?
いや、ひのめはその後すぐ、ご縁があってオープンする形になるんですけど、当時はコンセプトこそ今と変わらないものの、自分の思いとしては
「飲食業界を変えてやる!」
「ふざけんなお前ら!」
「一般消費者たちもっと考えろ!」
みたいな感じでした(笑)
自分が表現する立場になったからこそ、表現しないといけないと、かなり“尖っていた”と思います。
そんな中、妻との出会いで、すごく“まるく”なりました(笑)
奥様との出会いですか?
当時、ここ亀山にはいいお店ないなって思っていて、これまた尖っていたんですよね(笑)
訂正しておきますが、本当はたくさんあるんですよ!
でも当時は知らないが故にそう思っていて、僕は全国でかっこいいことやってる人を探して、単純に話を聞いてみたいと思って、直接電話してアポとったりしていました。
すごい行動力!
熱量は持ってました(笑)でも無知で不器用でした。
その中で妻に出会い、コミュニケーションの取り方とかすごく学ばせてもらって。僕がずっとダメだと思っていたことも、見方変えたらそうなん?みたいな。
考えてみたら確かに。みたいなそういう体験が色々あって、捉え方とかが大きく変わっていったんですよね。
そこからは、根幹の部分は変わっていないですけど、表現の仕方がどんどん変わっていきました。
子どもたちに伝えたい「自分の選択」
素敵な奥様ですね!
そこから、ひのめだけではなく、どんどん活動の幅を広げて、今、子どもたちにいろいろな形で関わっていると思うんですけど、どのようなことを伝えていってるんですか?
そうですね。
料理教室の方は、もちろん美味しく作るとか楽しく作るというのはそうなんですけど、学校じゃ見れないものとかを持って行ったりしてて。
例えば、この前は土ついたままの野菜を教室に直接持って行ったり。
スーパーだったら、だいたい人参はツルツルで綺麗で土もついてないけど、この場にあるものは、にんじんは葉っぱもついててイガイガだし、でっかいのもあればちっちゃいやつもあるしみたいな。
そんな食材を食べ比べたり、匂いを嗅いだりとか。日常や教育の中では体験できないことを、僕の料理教室では結構やってます。
講演では自分の人生経験を伝えたり、これから自分はどうありたい?など、これからの自分について考えてもらう機会を作ったりをメインとしています。
「みんなはなんで普段、先生って呼んでるの?」
「僕は壇上に立ってるから、先生って呼ぶ?」
とか、そんな話もして、「それについてどう思う?」とか、食から結構逸れることも多いですね(笑)
学生と話をしていると、目標を持たずに生きている子がものすごく多くて…
僕はそういうのはすごくもったいないなとか思っているから。
もちろん、ハマる人とハマない人がいるから、自分にハマる人がいれば興味持ってきてくれたらいいし、ハマらない人はそのまま自分の道を進んだらいいよというスタンスでいつも話してます。
何より自分が学びになるし、楽しいから続けてますね。
食を超えて、「どうありたいのか?」とかそこまで踏み込んで話をするのは何か理由があるんですか?
それは、自分の周りの友人たちの影響が大きいかもしれないですね。
すごい時間かけて受験勉強して、いい大学行って、いい企業入って働いている学生時代の友人が僕の周りにもたくさんいるんですけど、久しぶりに会うと「仕事辞めたい」とか「これから何したいのかわからん」とか言ってて。僕はそれがすごく残念で…
「あんなに頑張ってたのに、一生、そこ考えずに生きててええんか!」という想いがずっとあって。
学生たちと会って、話をしていると、僕の友達を見ているみたいに感じることが多々あって。
「勉強して、いい大学に行こうと思ってます」と言ってる学生に「なんでそこなん?」と僕が聞くと「親に言われたから。」みたいなとか。
僕と話すことで、もしかしたらもうちょっと意志持って日々生きてもらえるかもしれないという思いがあって。
何かのきっかけになればいいなというのを思って、踏み込んで話をしています。
そうだったんですね。ちなみに「食」と「生き方」とは、どう結びつけてお話しされたりするんですか?
自分が食べているものに対して意識を向けることと、自分が生きてることに対して意識を向けることはすごく近いかなと思っていて。
例えば、朝ごはんで食べたものはどこで作られたもの?とか、今使っているコップはどこで作られたもの?とか、なんでそれを食べたん?使ったん?ということを一緒に考えるようにしてます。
僕も全部答えられるわけじゃないんだけど、ほとんどの子は、ほとんど答えられなくて。
日々の営みとして行われている食から、もっと選択できるようになってくると、自分がこれからの社会の選択や、日常の物の選択に対しても、 もっと意志を持って、当たり前に考えていけるんじゃないかなと思ってます。
これは、海外ですごく感じたんですよね。
「俺はここのこれが好きだから買う」とか、「この人が作ってるから使ってる」とか、そういったのが当たり前にある環境だったので。
うえちゃんの夢と父ちゃんたちよ、料理しようぜ!
こんな深く、素敵な話を学生時代に聴ける子どもたちが羨ましいです。
うえちゃんが、今後やっていきたいことや目指していることってあるんですか?
すごい大きな夢なんですけど、教育の場に食の授業を設けるようにしたいです。
国語も、数学も、英語ももちろんすごい大事だけど、人間の本質として「食」もすごく大事やと思うんですよね。
家庭科の一部とかではなく、食のプロが、教育の場で時間をかけて子どもたちに伝える事ってすごく必要だと思う。
その先頭を切っていきたいなと思います。
お店としてはひのめと同時に、今少しずつ始めているカフェなど、誰でも入りやすいような場所づくりを進めていきたいです。
自分の目の届く範囲で、安心して食事のできる場所を少しずつつくっていきたいなと思っています。
食を通じて、生きることを考える機会がもっともっと増えてほしいなって、僕自身も今日の話を聴きながらすごく感じていました。
では最後に、その子どもたちの「父ちゃん」へ一言メッセージを頂けますか?
「食に興味持って料理しようぜ!」以外ないです(笑)
いつも料理作ってもらってるだけというのは、僕は本当にあかんと思ってて。
もちろん家庭での役割はあると思うんですけど、意識して食と向き合って料理する時間は絶対必要だし、そうしてほしい。
今年は大きな天災が色々あったけど、やっぱりそういった場で料理できたりすると、それだけでも人の助けになる手段にもなると思うし。
奥様が体調崩したときは、奥様におかゆをつくるとか、子どものご飯をつくるとか、相手のことを考えて料理を作る。
それが全くできないようでは、僕は、父ちゃんとしての資格はない!と思うくらい当たり前であってほしいし、そうあってほしいと願ってます。
あとは、さっきの話にもつながるけど、父ちゃんにも消費行動をちょっと意識してほしいなと思います。
考えなしに安いもの買うなどではなく、これは誰が作ったんかな?とか。 作り手さんを思い浮かべながら食材を選んで食べた方が、食卓は健やかになると思う。
今年の夏は1か月ぐらい雨が降らなかったので、野菜がものすごいことになってたんです。
なすは種が大きくなりすぎたり、トマトはぐじゅぐじゅになったり、万願寺唐辛子は普段辛くないはずなのに辛くなったり。
作り手さんの顔を思い浮かべるようになると、それまで他人事だった問題が自分事になってくると思うんですよね。
正直、スーパーの野菜も産直の野菜もそんなに味の違いは僕にはわからないと思う。
きっとどっちも美味しいし。
でも、作り手の顔の見える買い物ができるようになると、間違いなく食事はもっと美味しくなる。
確かに。それこそ僕もこの間、娘が採ってくれた庭に自然になってるまだ緑のままのブルーベリー、とても美味しかったです(笑)
これも娘の顔を思い浮かべたからこそなのかもしれないですね。
そうですよね!スーパーに売ってる方がきっと美味しいものが多いんだけどね(笑)
結局、相手のことをどれだけ思えるか、心に余裕があるか。
それが、一番食を楽しむ上で大事なんやと思います。
家族を想って、料理をすること。
作り手を想って、食材を選ぶこと。
僕も父ちゃんの1人として、今日から意識していこうと思います!
うえちゃん、今日はありがとうございました。
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